高級旅館の仲居のつぶやき

自由に生きる48歳の主婦が田舎を飛び出し見知らぬ土地で夢を追いかける!

新天地に来たものの…。

滋賀県に来て、手厚い皆さんからのおもてなしを受けて、トイレットペーパーまで用意して頂いたけど…。


頑張ろう!と意気込んでいたけど…。




仕事がない!


3月に入ったとたんに激減したんだとか…!


3月の15日までに出勤日が4日しかないの(>_<)


どうやって暮らしたらいいのかしら。


極力、外には出ないことにしたわ。


ネットサーフィンしまくりで、本も読みまくりで、完全にこもりきる(^^♪


雛祭りの思い出

小学生だったとき、立派なお雛様を飾っていたお友達がクラスに一人いた。


お母さんが茶道の先生か何かだったと記憶している。


みっちゃんといってクラス皆の人気者だった。


みっちゃんちでは、毎年友達を集めてひな祭りパーティをしていた。


私もお呼ばれされて、一度だけお邪魔したことがある。
お母さんが朝早くから用意したであろう、
雛あられやちらし寿司、美味しそうなお菓子やケーキがテーブルいっぱいに並べられて、


誕生日みたいな華やかなパーティだった。


豪華なひな人形を前に、ご馳走を頂けるなんて小学生の私は幸せだった。


私の家ではひな人形もなかったし、ケーキを作ったりご飯を作ってくれる母親ではなかったため、


みっちゃんがとても羨ましかった。


当時の私は「お母さんがご飯を作ってくれる」家庭にあこがれていた。


私の母親は、朝の2時から家を出て帰りは夜の8時頃の帰宅が、土日も関係なく毎日だったからだ。


なので、食材の買い出し、ご飯の支度は当時小学生だった私の担当だった。


私は「お母さんの味」を知らずに育った。


母の背中も見る時間がなかった。


子どもの頃は「なんで家には母がいないのか」と不満に感じたり寂しく思うときもあったが


子どもの親になった今、そんな母親でも一生懸命、母親業をしていたのだと


気付いた。


言葉や


会話の中で娘を思う、母の気持ちが読み取れたとき、愛されてるんだなと強く感じていた。


母親はこうあるべきとか、そういう価値観で自分をぐるぐる巻きにしていた自分に気づいた。


ご飯を作ってもらえなくても母親であることに変わりはないし、私の作ったご飯を食べていた母親は幸せそうだったし、


美味しいと言って喜んでくれてた。


そんな母親も76歳になったが、


まだまだ元気でいてくれていることが、


私の最大の喜び事であり幸せでもある。


このように、3月3日のひな祭りには、


みっちゃんちから回想して、私の母にいきつく。


豪華なお雛様を見るたびに思い出す。

感謝、感激(^^

リゾートバイトしている私は、3月1日から滋賀県に行くことが決まっていたため、
昨日三重県から滋賀県に引越してきた。


琵琶湖が見えてきたときはテンションが上がり、さすが日本一の湖だわと感動した。


駅に着いたら、それらしき車に乗った担当の方が迎えにきて下さり、


時間が遅れてしまったにも関わらず、素敵な笑顔でエスコートしてくださった。


お客様ではないのに、お客様のように扱ってくださる、ここの旅館はすごく雰囲気が良いんだろうなと肌で感じた。


正面玄関に着いたら、2,3人のフロントの方が出てきて下さり、手厚いおもてなしを受けた。


ラウンジではゆずの皮が入った温かいゆず茶をご馳走になり、


接客課の担当の方が親切丁寧に仕事の流れを説明してくださった。


更衣室、調理場、従業員食堂と回って案内して下さり、大事にされてる感がますます強くなった(^^)


そして極めつけは、


寮まで案内してくださった際に私の重い引越し荷物を4階まで、男性2人がかりで運んで


くださり、


ドアを開けたら12ロールのトイレットペーパーが置いてあった。



私の一番の心配ごとは、滋賀県に来てもトイレットペーパーは買えるかどうかだった。


そんな不安を見事に吹き飛ばしてくれた。


なんて素晴らしい会社なんだろうか!


手厚いおもてなしを存分に受けて、極めつけは一番の心配ごとを一気に吹き飛ばしてくれた。


これでトイレットペーパーを探し求めてアチコチ回らずにすむ…!
と思うとホントにありがたい。


私にできる恩返しは何だろうか…。


この会社のために精一杯努力して、
お客様に「また来ます」とおっしゃって頂ける接客を身につけよう!と心に誓ったのだ。


明日から頑張ろう!という大きなエネルギーを貰った。


心から感謝します。