雛祭りの思い出
小学生だったとき、立派なお雛様を飾っていたお友達がクラスに一人いた。
お母さんが茶道の先生か何かだったと記憶している。
みっちゃんといってクラス皆の人気者だった。
みっちゃんちでは、毎年友達を集めてひな祭りパーティをしていた。
私もお呼ばれされて、一度だけお邪魔したことがある。
お母さんが朝早くから用意したであろう、
雛あられやちらし寿司、美味しそうなお菓子やケーキがテーブルいっぱいに並べられて、
誕生日みたいな華やかなパーティだった。
豪華なひな人形を前に、ご馳走を頂けるなんて小学生の私は幸せだった。
私の家ではひな人形もなかったし、ケーキを作ったりご飯を作ってくれる母親ではなかったため、
みっちゃんがとても羨ましかった。
当時の私は「お母さんがご飯を作ってくれる」家庭にあこがれていた。
私の母親は、朝の2時から家を出て帰りは夜の8時頃の帰宅が、土日も関係なく毎日だったからだ。
なので、食材の買い出し、ご飯の支度は当時小学生だった私の担当だった。
私は「お母さんの味」を知らずに育った。
母の背中も見る時間がなかった。
子どもの頃は「なんで家には母がいないのか」と不満に感じたり寂しく思うときもあったが
子どもの親になった今、そんな母親でも一生懸命、母親業をしていたのだと
気付いた。
言葉や
会話の中で娘を思う、母の気持ちが読み取れたとき、愛されてるんだなと強く感じていた。
母親はこうあるべきとか、そういう価値観で自分をぐるぐる巻きにしていた自分に気づいた。
ご飯を作ってもらえなくても母親であることに変わりはないし、私の作ったご飯を食べていた母親は幸せそうだったし、
美味しいと言って喜んでくれてた。
そんな母親も76歳になったが、
まだまだ元気でいてくれていることが、
私の最大の喜び事であり幸せでもある。
このように、3月3日のひな祭りには、
みっちゃんちから回想して、私の母にいきつく。
豪華なお雛様を見るたびに思い出す。
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