滋賀県に来て、手厚い皆さんからのおもてなしを受けて、トイレットペーパーまで用意して頂いたけど…。
頑張ろう!と意気込んでいたけど…。
仕事がない!
3月に入ったとたんに激減したんだとか…!
3月の15日までに出勤日が4日しかないの(>_<)
どうやって暮らしたらいいのかしら。
極力、外には出ないことにしたわ。
ネットサーフィンしまくりで、本も読みまくりで、完全にこもりきる(^^♪
滋賀県に来て、手厚い皆さんからのおもてなしを受けて、トイレットペーパーまで用意して頂いたけど…。
頑張ろう!と意気込んでいたけど…。
仕事がない!
3月に入ったとたんに激減したんだとか…!
3月の15日までに出勤日が4日しかないの(>_<)
どうやって暮らしたらいいのかしら。
極力、外には出ないことにしたわ。
ネットサーフィンしまくりで、本も読みまくりで、完全にこもりきる(^^♪
小学生だったとき、立派なお雛様を飾っていたお友達がクラスに一人いた。
お母さんが茶道の先生か何かだったと記憶している。
みっちゃんといってクラス皆の人気者だった。
みっちゃんちでは、毎年友達を集めてひな祭りパーティをしていた。
私もお呼ばれされて、一度だけお邪魔したことがある。
お母さんが朝早くから用意したであろう、
雛あられやちらし寿司、美味しそうなお菓子やケーキがテーブルいっぱいに並べられて、
誕生日みたいな華やかなパーティだった。
豪華なひな人形を前に、ご馳走を頂けるなんて小学生の私は幸せだった。
私の家ではひな人形もなかったし、ケーキを作ったりご飯を作ってくれる母親ではなかったため、
みっちゃんがとても羨ましかった。
当時の私は「お母さんがご飯を作ってくれる」家庭にあこがれていた。
私の母親は、朝の2時から家を出て帰りは夜の8時頃の帰宅が、土日も関係なく毎日だったからだ。
なので、食材の買い出し、ご飯の支度は当時小学生だった私の担当だった。
私は「お母さんの味」を知らずに育った。
母の背中も見る時間がなかった。
子どもの頃は「なんで家には母がいないのか」と不満に感じたり寂しく思うときもあったが
子どもの親になった今、そんな母親でも一生懸命、母親業をしていたのだと
気付いた。
言葉や
会話の中で娘を思う、母の気持ちが読み取れたとき、愛されてるんだなと強く感じていた。
母親はこうあるべきとか、そういう価値観で自分をぐるぐる巻きにしていた自分に気づいた。
ご飯を作ってもらえなくても母親であることに変わりはないし、私の作ったご飯を食べていた母親は幸せそうだったし、
美味しいと言って喜んでくれてた。
そんな母親も76歳になったが、
まだまだ元気でいてくれていることが、
私の最大の喜び事であり幸せでもある。
このように、3月3日のひな祭りには、
みっちゃんちから回想して、私の母にいきつく。
豪華なお雛様を見るたびに思い出す。
リゾートバイトしている私は、3月1日から滋賀県に行くことが決まっていたため、
昨日三重県から滋賀県に引越してきた。
琵琶湖が見えてきたときはテンションが上がり、さすが日本一の湖だわと感動した。
駅に着いたら、それらしき車に乗った担当の方が迎えにきて下さり、
時間が遅れてしまったにも関わらず、素敵な笑顔でエスコートしてくださった。
お客様ではないのに、お客様のように扱ってくださる、ここの旅館はすごく雰囲気が良いんだろうなと肌で感じた。
正面玄関に着いたら、2,3人のフロントの方が出てきて下さり、手厚いおもてなしを受けた。
ラウンジではゆずの皮が入った温かいゆず茶をご馳走になり、
接客課の担当の方が親切丁寧に仕事の流れを説明してくださった。
更衣室、調理場、従業員食堂と回って案内して下さり、大事にされてる感がますます強くなった(^^)
そして極めつけは、
寮まで案内してくださった際に私の重い引越し荷物を4階まで、男性2人がかりで運んで
くださり、
ドアを開けたら12ロールのトイレットペーパーが置いてあった。
私の一番の心配ごとは、滋賀県に来てもトイレットペーパーは買えるかどうかだった。
そんな不安を見事に吹き飛ばしてくれた。
なんて素晴らしい会社なんだろうか!
手厚いおもてなしを存分に受けて、極めつけは一番の心配ごとを一気に吹き飛ばしてくれた。
これでトイレットペーパーを探し求めてアチコチ回らずにすむ…!
と思うとホントにありがたい。
私にできる恩返しは何だろうか…。
この会社のために精一杯努力して、
お客様に「また来ます」とおっしゃって頂ける接客を身につけよう!と心に誓ったのだ。
明日から頑張ろう!という大きなエネルギーを貰った。
心から感謝します。