高級旅館の仲居のつぶやき

自由に生きる48歳の主婦が田舎を飛び出し見知らぬ土地で夢を追いかける!

雛祭りの思い出

小学生だったとき、立派なお雛様を飾っていたお友達がクラスに一人いた。


お母さんが茶道の先生か何かだったと記憶している。


みっちゃんといってクラス皆の人気者だった。


みっちゃんちでは、毎年友達を集めてひな祭りパーティをしていた。


私もお呼ばれされて、一度だけお邪魔したことがある。
お母さんが朝早くから用意したであろう、
雛あられやちらし寿司、美味しそうなお菓子やケーキがテーブルいっぱいに並べられて、


誕生日みたいな華やかなパーティだった。


豪華なひな人形を前に、ご馳走を頂けるなんて小学生の私は幸せだった。


私の家ではひな人形もなかったし、ケーキを作ったりご飯を作ってくれる母親ではなかったため、


みっちゃんがとても羨ましかった。


当時の私は「お母さんがご飯を作ってくれる」家庭にあこがれていた。


私の母親は、朝の2時から家を出て帰りは夜の8時頃の帰宅が、土日も関係なく毎日だったからだ。


なので、食材の買い出し、ご飯の支度は当時小学生だった私の担当だった。


私は「お母さんの味」を知らずに育った。


母の背中も見る時間がなかった。


子どもの頃は「なんで家には母がいないのか」と不満に感じたり寂しく思うときもあったが


子どもの親になった今、そんな母親でも一生懸命、母親業をしていたのだと


気付いた。


言葉や


会話の中で娘を思う、母の気持ちが読み取れたとき、愛されてるんだなと強く感じていた。


母親はこうあるべきとか、そういう価値観で自分をぐるぐる巻きにしていた自分に気づいた。


ご飯を作ってもらえなくても母親であることに変わりはないし、私の作ったご飯を食べていた母親は幸せそうだったし、


美味しいと言って喜んでくれてた。


そんな母親も76歳になったが、


まだまだ元気でいてくれていることが、


私の最大の喜び事であり幸せでもある。


このように、3月3日のひな祭りには、


みっちゃんちから回想して、私の母にいきつく。


豪華なお雛様を見るたびに思い出す。